カウンセラー兼サロンオーナー:Eriko
詳しい自己紹介
結婚してからも、家事・育児をしながらずっと事務の仕事をしてきました。
そんな会社勤めの私が、カウンセラーとしてサロンを開くなんて思ってもみませんでした。
でも、今は、こうしてサロンを開く事は私の天から与えられた使命だと思っています。
ここ数年ずっと考えていました。時間や生活に追われるだけではなく、魂から喜べる仕事がしたい。毎日を丁寧に生きたい思うようになっていました。
ただ、それが何かはわからないままずっと探し続けていました。
そんな中、アクセスバーズを習い、それを趣味として勉強したり、施術したりされたりしているうちに私自身が変化していきました。
自分で何かを始めるなんて「私には絶対無理!」と思っていてずっとこのまま一生を過ごすのだろうと思っていました。
しかし、ある日突然「やりたい!!」と気づいたのです。
生まれて初めてやりたい事がみつかりました。
心の底から魂が震えるくらい「やりたい!!」と思ったのです。
そう思うには3つの試練と困難がありました。
1番目:第2子の染色体異常
第2子を妊娠中、エコー検査で気になる事があり羊水検査をして調べたら、染色体異常がみつかりました。妊娠初期に流産しかかったのも、その異常のせいだったのでは。
そして、産むか産まないか、家族で何度も話し合った結果…あきらめる事にしました。
頭では「産まない方がいい」とわかっていてもどうしても産みたくて産める理由をみつけるために色々調べました。
色々問い合わせ、そうした身体に障害のある子ども達がいる保育園を見学させてもらう事が出来ました。
私自身も母親のおなかにいる時、母親が大病をし、何度もレントゲン検査をしたり、手術や治療をしたため、医師から
「五体満足な子どもが産まれることは保証されません。赤ちゃんはどうしますか?」
と言われ、両親は悩んだ末に産んでくれたそうです。
そんな事があったので、私はいつどこでどんな病気になってもしかたないと思っていて、でも
「この先、どんな困難が待っていたとしても、私は産まれてきて、本当に幸せだな」と思っているので、その私の子どももきっと、そう思ってくれるのではないかと信じていました。
でも実際、重度の障害を持つ子ども達に会って先生方からの話を聞いて、あきらめることを決めました。
両手・両足・身体も全く動かせない、呼吸も上手にできないその子は、とてもきれいな目で天を見つめていて、呼吸機をつけているので会話もできない。
その子が時々涙を流すそうです。自分も遊びたいと。
それを聞いた時、「どんな困難があっても幸せ」と思えるという自信は消え、逆に、そんな甘い考えの私が産んではいけないと思いました。
産まれてくるはずだった私の子ども。
その子がどんな子どもだったのか、今はもうわからないけれど、その子にしてあげるはずだった労力と愛情はいつか別の形で報いよう。
自分の子育てややるべき事が片付いたら「きっとやろう」そう決めていました。
2番目:実母のうつ病
私は結婚して実家を出るまでずっと母親のそばにいました。
父が出稼ぎでいない間も弟が県外就職していない間も私だけは、ずっと一緒でした。父はほとんど不在だったため娘の私は、母を精神的に支えてきました。
そんな私が嫁いで5年ほど経った頃、母はうつ病になってしまいました。
実家の父も母も私に心配をかけたくなくてずっと隠していたようです。
ただ、状態がすごく悪くなり、どうしても娘に会いたいとうちにやってきました。
久しぶりにみた母は、眠れないし、食欲もないし、とにかく不安なようでした。まるで別人のように変わり果てた母を見るのは切なくてとても悲しかった。
なんとか治したくて、元気になってほしくて病院に連れて行ったり、心療内科も受診しました。薬も処方されたけど、母は口にしませんでした。
とても不安感が強かったため、日中一人にすることが忍びなく(その時私も働いていたため)お姑さんに話し相手になってもらったり、知り合いの農家で仕事を手伝わせてもらったりして、沢山助けられました。そうして、うちで3ヶ月ほど過ごし、その後実家に帰っていきました。
実家に帰る時に母は
「治すから!」と言いました。
母は実家に戻ってから農家で働く事を決めていました。
それから数ヶ月で本当に完治したのです。
覚悟して決めた事は必ず叶う、そんな思いです。
おかげ様で、今は、そんなうつがあったなんて思えないほど元気です。
支えてくれたお姑さんや知り合いの大きな力のおかげです。言葉では伝えられないくらい、本当に感謝しています。
私は幸せです。そんなお姑さんや知り合いがいるのですから。
3番目:子どものこと
実家の母も元気になったし、何もかもがうまくいっていて「最高に幸せだなぁ」と幸せを噛みしめていた頃少しずつ子どもが苦しみ始めていたのです。
あまり詳しくお話することはできませんが、自分の子どもが立ち直るの1年弱かかりました。
私は母としてできることは全てしようと色々試してみたり、ストレスとなるようなことは全てやめてみたりカウンセリングにも連れて行きました。
自分の大切な子どもがつらい思いをして苦しんでいるのをみているのはとても悲しくて、どうにかしてあげたい、そんな思いでずっとそばに寄り添い続けました。
しかし、そんなそんな時間が6ヶ月過ぎた頃、治らない事にいらだちを覚え、誰にも言えない怒りがこみあげてきました。
「こんなにも頑張っているのになんで治らないの?どうして変わらないの?」と。
しかし、それを誰かに向けることは絶対にできないし、私は平常を保ちおおらかで笑顔でいようと決めたから早く私が戻らきゃ。
そう思った時、この気持ちを吐き出す場所があったらいいのに、と強く思いました。子どもだけでなく親もつらいんだと、親は誰にも辛さを見せられないし、そんな親のために気持ちを吐き出せて話し合える仲間や場所があったらどんなに気持ちが楽だろう。そう思いました。
結局、その日限界を超えていた私は一人カラオケに行きました(笑)3時間大声で歌い不思議とすべての怒りが無くなりました(笑)いつもどおりの私に戻って、吐き出すってこんなに大切なんだ、と実感しました。
子どもの問題がわかって10ヶ月ほど過ぎた頃、ようやく希望の光が見え始め、その後、ようやく問題をなんとか解決することができました。
その1年は家族全員が一つとなって同じ方向を向いて力を合わせた時間でした。
できるだけ家族で過ごし色々なところに一緒に出掛けました。沢山おひさまの光を浴びて自然からパワーをもらいました。
山や野原の緑や青い空や海、鮮やかな花々そんな景色を沢山みました。様々な体験もしました。ロッククライミングやシュノーケリング、日常とは異なることをしてみたりもしました。
でも一番の助けはやはり家族だったと思います。
それからカウンセリングの先生や学校の先生方にもお世話になりました。
私たちは家族はなんとか這い上がる事が出来ました。
そんな私の子育ては現在進行形。これから先、再びつまづく事もあると思います。でも私達は解決する方法を身につけたからきっと大丈夫。
家族で乗り越えていけるはず。
最後に
今はそんな経験すべてが、私がこの道にたどり着くために起きていたのではと腑に落ち納得できるです。
もしかして、1回目子どもを産んでいて、そして、同じような子どもを持つ人々のための助けになるような事に尽力していたら、2回目、3回目の困難はなかったのだろうとも。
私は無力かもしれません。それでも誰かの助けになりたい!!
そう強く思うのです。
私が苦しかった時、必要と思っていた悩みを気軽に話せる場所。
ひとりで孤独を感じていた時、苦しいのは自分だけではない。私の他にも苦しんでいる人がいるとわかったらどれだけ気楽になれるか。
つらい時、一緒に頑張ろう!!と言ってくれる同じ仲間がいてくれたら、どれだけ救いになるか。
家と学校以外にも居場所があれば、どれだけ気軽になれるか。そんな居場所を作りたいのです。
こんな方におすすめです
◆カウンセリングなんて必要ないけど、悩みを聞いてほしい
◆同じような悩みで苦しんでいる人に会いたい・会って話をしてみたい
◆仲間どうし励まし合いたい
◆学校で孤立してしまっている子どもに仲間と居場所を作ってあげたい
◆昼夜逆転を直すためにも規則正しい生活にしていきたい
◆悩みというほどではないけど、気軽にグチをこぼしたい
◆ちょっとした不安や心配事を相談したい
◆未来に希望が持てなくてすべてが不安。助けてほしい!
◆もしかしたら発達障害?どうしたらいい?
◆自分を変えたい・変わりたい
◆ひとりで子育てが苦しい
◆家族の事で悩んでいる
◆居場所がない